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造営が置いていった技術と、山の恵み
東照宮の造営という一大事業は、建物だけでなく、そこに携わった職人たちの技術も日光に残しました。 彫刻刀の使い方一つとっても他の産地とは逆で、豆腐から作る食べものの巻き方一つにも、京都との違いが表れています。
日光彫
江戸初期、東照宮の造営のために全国から集められた彫刻職人たちが、仕事の合間に彫って楽しんだのが日光彫の起源とされています。 最大の特徴は「ひっかき」と呼ばれる独特の彫り方です。多くの木彫りが刃を押し出すようにして彫るのに対し、日光彫は 「ひっかき刀」という特殊な形の刃物を手前に引くようにして彫り進めます。
この「引く」動作によって生まれるのが、日光彫特有の流れるような曲線です。仕上げには「日光堆朱(ついしゅ)」と呼ばれる 漆塗りが施され、木地の風合いを活かしながら艶やかな質感に仕上げられます。二社一寺の彫刻に命を吹き込んだ職人の技術が、 建物が完成した後も土地に根付いて、日用品づくりの技として生き続けている例です。
日光の湯波
豆乳を煮詰めた際にできる膜をすくい上げる食べものは、京都では「湯葉」、日光では「湯波」と、あえて違う漢字が使われます。 これは単なる表記のゆらぎではなく、作り方そのものの違いを映したものです。
一枚ずつ薄く引き上げる、繊細な製法。京料理を陰から支える名脇役として使われる。
二重に重ねて引き上げる、ボリュームのある製法。含め煮や生湯波の刺身など、料理の主役として供される。
同じ大豆からできる同じ工程の食品でありながら、京都では脇役、日光では主役という、まったく違う立ち位置を与えられている ――日光の湯波が「湯葉」ではなく「湯波」と書かれ続けている背景には、そんな独自の食文化の誇りが込められています。
日光杉並木街道
東照宮周辺には、ギネス世界記録に「世界最長の並木道」として認定された日光杉並木街道が、今もほぼそのままの姿で残っています。 3つの街道に分かれた並木の総延長は35.41km、現存する杉は約12,500本。植えたのは川越藩主・松平正綱です。
正綱は若くして家康に仕えた恩に報いようと、家康の没後、諸大名が金品を東照宮に寄進する中、彼だけは杉の苗木を寄進すると 申し出ました。当初は他の大名たちから「たかが木を」と非難されたといいますが、正綱は「末をご覧あれよ(この先を見ていてほしい)」 と答えたと伝わります。実子の正信とともに20年余りをかけて植え続けたこの並木は、350年以上を経た今、金銀による寄進をはるかに 超える規模の贈りものとして、日光の街道を今も覆っています。一代限りで終わらない寄進のスケールこそ、大手ガイドの 「立派な並木道です」という一文には収まりきらない、日光らしい物語です。
おわりに
陽明門の逆柱、神厩舎の8枚の物語、眠り猫の裏の雀、そして家康の墓をめぐる論争。次に日光を訪れる時は、写真を撮る前に、少し立ち止まって「なぜ」を探してみてください。