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奥日光のもう一つの物語
ハイキングコースとして人気の戦場ヶ原ですが、その地名の由来を知って歩く人は多くありません。中禅寺湖をめぐって争ったのは、 二つの山の神。舞台は今も観光客が行き交う、まさにその湿原です。
神戦伝説
伝説によれば、日光・男体山の神と、群馬・赤城山の神が、中禅寺湖の領有権をめぐって激しく争ったといいます。 両者はそれぞれ大蛇と大ムカデに姿を変え、決着のつかない死闘を繰り広げました。この戦いの舞台となった広大な原野が、 現在の戦場ヶ原(栃木県日光市)だと伝えられ、地名はこの神話に由来するとされています。
戦況を打開したのは、男体山側についた弓の名人・猿麻呂(またはその一族)でした。大ムカデの弱点である目を射抜いたことで、 赤城山の神はついに敗走したといいます。群馬県側の老神温泉に伝わる「大蛇まつり」は、この神戦伝説を今に伝える祭礼の一つで、 同じ物語が両県で少しずつ違う語り口とともに継承されてきたことがわかります。
中禅寺湖そのものも、約2万年前の男体山の噴火によって流れ出した溶岩が大谷川をせき止めてできたと考えられています。神々の争いの物語は、山が火を噴き、地形が一変するという実際の自然現象の記憶を、後世の人々が神話の形に置き換えて語り継いだものだとも解釈できます。
いろは坂
中禅寺湖・奥日光へと向かう急勾配のつづら折れ、いろは坂。上り専用の第二いろは坂と下り専用の第一いろは坂を合わせて、 カーブの数はちょうど48。この数が、平安時代の「いろは歌」の文字数(47音に「京」を加えた48字)と一致することから 「いろは坂」と名付けられたとされています。各カーブには「い」から始まる文字が振られた標識が実際に設置されており、 運転しながら歌をたどるような仕掛けになっています。
いろは歌は「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ」——どれほど美しく咲いた花もいずれ散る、この世に変わらないものなどない、 という無常観を詠んだ歌です。急カーブの数を戯れに当てはめただけとも言えますが、山を登るごとに一字ずつ移ろいを刻んでいくという構成は、 奥日光という「俗界から離れた聖域」へ分け入っていく感覚と、意外なほど重なります。
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