日光ヒストリア|東照宮の謎と、大手サイトが書かない日光

栃木県日光市 非公式・歴史情報ポータル

東照宮は、
見るものではなく読むものだ。

「日光を見ずして結構と言うなかれ」――そう言われて訪れた人の九割は、金色の建物を見て、三猿を見て、写真を撮って帰っていきます。 けれど陽明門の柱には江戸の職人が仕込んだ「わざとの欠陥」があり、三猿は8枚続きの人生絵巻のほんの1場面にすぎず、 家康の遺骸が本当にここにあるのかは、今なお決着していません。大手旅行サイトが書ききれない、日光のもう一つの顔を集めました。

東照宮の謎から読む 家康の墓の論争を読む

日光を読み解く、四つの鍵

なぜ、これほど濃密なのか。

日光の物語は一枚岩ではありません。766年に一人の修行僧が男体山を目指したところから始まる千二百年の 山岳信仰。天下人の権威をどう建築に翻訳するか、江戸の職人たちが知恵を絞った 意匠と暗号。将軍の権力争いすら透けて見える二つの霊廟の力学。 そして明治以降、外国人たちがこの山あいに持ち込んだもう一つの近代化。 このサイトでは、ガイドブックの一行では終わらないこの四つの層を、それぞれのページで掘り下げます。

サイトを歩く

六つの部屋

それぞれ独立して読めます。気になるところから、どうぞ。

写真で見る

日光の風景、いくつか

言葉だけでは伝わらない部分を、実際の写真で。各写真は関連するページへのリンクにもなっています。

概観

日光、駆け足の年表

詳しい物語は各ページで。ここでは全体の流れだけを。

766

勝道上人、男体山を目指し大谷川で足止め

深沙大王が放った蛇の橋を渡り、四本竜寺を開く。日光における山岳信仰の起点とされる。

1617

元和3年、東照宮創建

初代将軍・徳川家康を祀る社として建立。当初は今よりずっと簡素な社殿だったと伝わる。

1636

寛永13年、「寛永の大造替」

三代・家光が現在の絢爛豪華な社殿群へと総造り替え。陽明門や眠り猫など、今見る意匠の多くがこの時に生まれた。

1653

家光の廟、大猷院が完成

「祖父を超える贅を尽くしてはならない」という遺言のもとに造営されたと伝わる、もう一つの霊廟。

1654

承応3年、憾満ヶ淵に「化け地蔵」創建

天海大僧正の百人の弟子が刻んだ地蔵群。数えるたびに数が違うという噂が今も囁かれる。

1873

明治6年、日本初の外国人向けリゾートホテルが誕生

東照宮の雅楽奏者だった金谷善一郎が、ヘボン博士を自宅に泊めたことがきっかけで金谷カテッジインを開業。

1899

明治32年、田母沢御用邸が完成

赤坂離宮などの建物を移築・増築した、現存する木造建築として国内屈指の規模を誇る御用邸。

1999

「日光の社寺」世界遺産登録

東照宮・二荒山神社・輪王寺の建造物103棟(国宝9棟・重要文化財94棟)と、その周辺の遺跡が登録された。